自分の人生を変える同期の一言
M:上司の方のご不幸があり、異動が白紙になって転職を決意されるところから、転職編が始まるわけですが。
皇:そうですね。厳密にいうと、同期が転職するって話を聞いた矢先に上司が亡くなったわけですが。
M:色々重なった時期だったんですね。
皇:そうですね。色々、考える時期でしたね。振り返ると。いつも一緒に飲んでたHとMという同期がいるんですが、ある日その3人で飲んでいた時にHから「木下は面白いんだから、コンサルを目指せば?」って言われたんですよね。ある意味、人生を変えたといっても過言ではない飲み会だったんです。
M:それはすごいですね。
皇:結果、そのHは別の会社に転職して、その場にいたMはデンソーの同期の中で現時点で最も出世したわけですが、その3人で話していて転職を決意したわけです。で、1回目の転職活動はボロボロの結果でした。本当に当時のコンサル業界は狭き門で、全滅でしたね。
M:意外でした。
皇:私、全部で3回転職活動しているんです。
M:そうだったんですね。
皇:あの時は人生で一番勉強しないといけないと思ってた時期でしたね。第一次の転職戦線は散々なもので、落ちまくりましたね。結果、転職できないなら今の会社に残るか、と思って残ることを決意しました。強烈に負けた感じがありましたね、当時。会社で結果を残してたのに、という思いはありましたね。
M:1回目の転職活動はそれで終わられて、その後どうなったんでしょうか。
皇:当時転職したいと思っていたところ、当時の部長に飲みに誘われましてね「デンソーはスルメみたいな会社だから。」とゲソの唐揚げの肝あえを食べながら言われたんですよ(笑)。は?って思ったんですけどね、噛めば噛むほど味がでる会社だって事を言いたかったみたいなんですが、「君は評価されているし、会社に残った方がいいし、本社に行きたい気持ちもわかるから転職活動をやめなさい。僕が動くから。」って言われたわけですよ。
M:引き留めにあったんですね。
皇:どこに行きたいの?って言われたので、プロフィットセンターの事業企画に行きたいって言ったんです。それで、異動しました。
M:社内異動されたんですね。
皇:転職するために当時めちゃくちゃ本を読んだんですけど、今の自分じゃ転職活動で全然太刀打ちできないんだな···と思いながら異動したわけです。
M:異動先ではどんな感じだったんですか?
皇:異動先の上司でAさんとOさんという方が居たんですが、その二人が太陽と月みたいな感じなんですよね。人生において、師と仰ぐような存在の二人に出会って、当時は非常にお世話になったわけですが。
M:幸先良いように思えますが。
皇:いや、Aさんが結構はっきり言うタイプで、これはオフレコなんですが、結構罵倒されたりしてましたね(笑)。Oさんはニコニコ支えてくれるタイプでしたが。
M:まさしく太陽と月ですね。
上司の叱責が自分を変えるきっかけに
皇:ある日、車の部品の設計変更があったわけですよ。で、Aさんのハンコが必要だったので、ハンコをもらうためにAさんの元に行ったんですよ。
M:ほう。
皇:その時はもちろんT社さんの要望だったので実際は問題はなかったのですが、それをAさんに「なんで設計変更(設変)するの?」って聞かれたので、「T社さんが設変するって言ったから変更するんです。」って、今思えばバカな回答をしたんですが、それを聞いた瞬間Aさんの顔が大魔神みたいにになって「てめえはT社が○ねって言ったら○ぬのか!じゃあ、今すぐ○ね!」って言われたんです笑
M:なんと。
皇:そんなこと言われたらびっくりするじゃないですか。
M:ですよね。
皇:でも言われてみたら、自分は表層的なことしか捉えてなかったな、と猛反省したわけです。なんで設計変更が行われて、そういうことに至ってるか、という深掘りができてなかったな、と気づいたんです。
M:深掘りと伝え方の両方ができていなかったと。
皇:そうですね。びっくりはしましたけど、あの発言を受けたことはいい経験だったな、と思いました。人に何かを説明する時は、しっかりヒアリングをしたり、なぜを繰り返したり、仮説を持ちながら自分が納得するまで深掘りするようになったきっかけとなって、大きな変化をもたらしましたね。
M:今の木下さんに繋がっていきますね。
皇:今思えば、Aさんは理想の上司だったし、誰よりもコンサル嫌いだったけどコンサルっぽい方でしたね。本当に転職を一度も考えなかったのは、Aさんの元で働いていた時だけでした。
M:仕事は充実してたんですね。
皇:AさんとOさんの指導を受けながら、リーマンショック等の影響で顕在化して赤字になっていた製品事業の立て直しをしたり、次世代品の開発の原価企画を行ったりと充実した日々を過ごしていましたね。仕事も評価されていましたし。
M:順調に見えますが。
皇:その後、他部門から来られた課長が病気になられて、課長代行をやったりと忙しい日々でしたが、不満はなかったですね。
M:その後、どうやって第二次転職戦線に入っていくんですか?
皇:その前に事業グループ全体をみるシステム事業部の事業企画に抜擢されて、異動したわけですが、その時に、ATカーニーの方と知り合う機会があったんです。セミナーが開催されているから代わりに聞いてきて、と。
M:ほう。
沸々と湧き上がるコンサルタントになりたい気持ち
皇:のちにATカーニーの日本代表となられる岸田さんという方なんですけど、その方にお食事に誘っていただいたり、話をする中でやっぱりコンサルタントになりたいなって思うようになったんです。
M:デンソーに骨を埋めようとしているように見えた矢先・・・!
皇:刺激的な世界を見てしまったんですよね。第二次転職戦線はATカーニーだけを受けましたね。最終で落ちましたが。
M:で、その後はどうなるんですか・・・。
皇:転職落ちたしどうするかなあと思ってた矢先に新規事業で事業企画の人が欲しいとのことで、新事業推進室(後のヘルスケア事業室)に異動して、ヘルスケアをやってたんですが、それはそれで楽しかったんですね。手術支援ロボットの開発や次世代手術質であるSCOT(Smart Cyber Operating Theater)の開発やら、脈波技術を使った健康診断サービスの立案などの事業企画で、人生で初めて立会で手術室に入ったりしましたね。また、ヘルスケアをやるために、禁煙しましたし(笑)。
M:また順調に見えますが・・・ドキドキしてきました(笑)。
皇:デンソーの中で経営研究会っていうのがあって、研究結果を冊子にまとめたりするんですけど、民間ロケット開発やTEDで有名な植松電機の植松さんに会いに行ったりしてたんです。その経営研究会の一環で、有識者に話を聞きに行こうってことになって、前述のATカーニーのパートナーの方にに話を聞きに行こうってなったんですけど、デジタルについてであれば、アクセンチュアさんがいいんじゃない?と言われ、紹介を受けてアクセンチュアに話を聞きに行ったんです。
M:ほう・・・!
皇:そこで当時のアクセンチュアストラテジーリードだった清水さんにお会いして、その方がとにかく面白い方で「この人たちと働きたい!この人たちと働いたら面白そう!」と強烈に思い、改めてコンサルタントになりたいっていう気持ちが沸々と湧いたわけです。
M:第三次転職戦線に入るわけですね・・・!
皇:結果、アクセンチュアストラテジーと戦略で有名なコンサルティングファームの2社から内定もらって、清水さんと働きたかったからアクセンチュアに決めたんです。ここから私のコンサルタントとしての人生が始まるわけです。
M:次回が楽しみですね!
皇:そうですね(笑)。次回予告は「8徹しても人間って生きているんだなぁ。」ですかね。
M:なんと・・・!
編集後記
デンソー時代に改善業務をしまくっていた木下さん、ついたあだ名は「浄化槽」と「カイザー(ドイツ語で皇帝の意)」。どんな問題や課題も、改善して後輩に渡す木下さんは当時慕われすぎた結果、後輩の結婚式に呼ばれまくってご祝儀貧乏だったという逸話も···。そんな先輩の元で働きたかったものです。
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